震災被害と格差など(阪神大震災−長田区の例)

すでにいくつかエントリーを投稿しているが、震災の被害と格差を考える上で重要と考えられる点を整理しておきたい。

但し、標葉の専門は災害研究では無く、この点について包括的・網羅的に交渉できる立場には無い。あくまで、科学技術社会論を専門とする人間が、ある問題意識の上で調べて、それでも大事だと思った点をかいつまんでいるに過ぎないことはご了解されたし。


 ざっと調べた範囲においては、災害研究の分野では、災害は、災害を契機として社会構造の脆弱性Vulnerability)が顕在化するものと考えられていると言ってよさそうだ。そのため、災害の状況とその背景を考える際には、被害の状況と同時に、どのような社会的脆弱性があったかを合わせて考える必要がある。ワイズナ−らは、社会的脆弱性は以下のようなプロセスを経て進行するとまとめている(Wisner et al. 2003; 浦野 2007・・・以下のWisnerのまとめの日本語訳は浦野の訳を参考にしている) 。

1. 根源的な原因(Root Causes)−貧困、権力構造や資源への限定的なアクセス、イデオロギー、経済システム、その他一般的でグローバルな要因
2. ダイナミックな圧力(Dynamic Pressures)−<地元の諸施設、教育、訓練、適切なスキル、地元の投資、地元市場、報道の自由など>の欠如、及び<人口増加、都市化、環境悪化など>のマクロ・ファクター
3. 危険な生活状況(Unsafe Conditions)−壊れやすい物的環境(危険な立地、危険な建物やインフラストラクチャーなど)、脆弱な地元経済(危機に瀕した暮らし、低い収入水準)

 このような社会的脆弱性の進行と、災害による脆弱性の顕在化は、日本におけるこれまでの災害でも確認されている。例えば1995年一月に発生した阪神・淡路大震災の被害に関するデータでは、兵庫県において生活保護受給者の死亡割合が兵庫県平均のおよそ5倍であったこと、仮設住宅入居者の約7割が300万未満の世帯収入であったことなどが指摘されている(震災復興調査研究委員会 1997; いのうえせつこ 2008; 吉井 2007)。

 これらの知見と事実は、震災の被害が社会的脆弱性を突いて、特に貧困層において顕著であることを示すものであり、ここに社会構造に応じた災害におけるリスクの格差構造が見て取れる。災害を巡る社会的脆弱性の問題は、すぐれて格差の問題でもあると言える。地震津波の被害を考える際、このリスク・被害の格差と脆弱性の問題は避けては通れない、解決すべき根本的な社会的課題でもある。

 また、今後の復興を考える上でも、もっとも影響(不利)を受け得る主体は誰かという問題もある。これまでのエントリーでは、被害のスタート地点における自治体間の被害格差、そしてそれの背景となり得る経済格差について描いてきた。この格差が、今後どう展開してしまう可能性があるのか考える必要がある。
 
 そこで、このエントリーでは、阪神淡路大震災における長田区の例を参考とすることで(阪神・淡路大震災で得られた教訓は多岐に渡ものであり、また標葉はそれらの知見群について包括的に論じられる立場にあるとは言えないが・・・)、今後生じてしまうかもしれない出来事(また既に生じつつある出来事)について素描してみたい。

 日本はこれまでに数多くの大地震を経験し、そのたびに多くの被害を出しつつも、いくつもの教訓を得てきた。中でも、この20年以内における際立った経験が、阪神・淡路大震災であると言える。1995年1月17日未明に発生した阪神・淡路大震災では、6434人もの死者、全壊ないしは半壊以上住宅が249180棟、また地震後に生じた火災によって7035棟が全焼するなどの大きな被害が発生している 。
 塚原(2011)は、災害に乗じた再開発とそれによる格差拡大と人々の疎外が生じた例として、神戸市長田区の事例に言及している(これはナオミ・クラインが指摘する「災害便乗型資本主義」の日本的な例という言い方もできるだろうし、塚原はそれを念頭に議論を行っている)。
 
 神戸市長田区は、阪神・淡路大震災において東灘区や灘区と並び多くの死傷者が生じた地区である。その長田区における被害において目を引く事実の一つに、全焼した住宅数の多さがある。2006年1月17日付の神戸市の発表では、死者数において同規模の被害があった東灘区や灘区における全焼住宅数が327軒と465軒であったのに対し、長田区における全焼住宅数は4759軒と群を抜いて多い。
 震災時に発生した火災によって焼野原になってしまった長田地区では、阪神・淡路大震災の復興事業として、その後再開発が急速に進むことになり、「奇跡の復興」を遂げることになる。現在では、新しく地下鉄も開通し、長田駅ならびに新長田駅の近辺には、舗装されたタイル張りの通行路に、新しい商店街が立ち並び、綺麗に整備された公園にはモニュメントとしての鉄人28号がそびえ立っている。

 復興に際して、町が新しい形で再建されること、その後に新しい人々の流入すること自体はもちろん必ずしも悪いことではない。しかし、このような焼野原からの復興の背後において生じていた変化の実態とはどのようなものだったのだろうか。(時としていやが応にも)その中で切り捨てられてしまうもの、見落とされてしまうものについて目を向けることもまた肝要であり、そのことは今回の東日本大震災をめぐる復旧・復興に際しても留意すべき教訓を与えてくれるものと考えられる。

 ここで長田地区における変化を示す指標の一つとして、人口の動態を確認しておこう。このデータにおいて注目すべき点の一つは、阪神・淡路大震災前後における長田区の人口の急激な減少とその後の緩やかな増加の非対称性にある。阪神・淡路大震災の前年である1994年10月1日には13万人いた人口が、震災を経た1995年10月1日には96807人まで減少している。およそ33000人の減少の人々が長田区より出て行ったことになる。その後、1998年10月1日の時点で108553人となり、12000人ほどの人口増加が認められる 。
(※1994年以前の年代は5年刻みのデータであることに留意されたし)


 この震災前後における33000人の転出と12000人の転入、差し引きで2万人を超える人口の流出は何を意味しているのだろうか??。
 
 無論、増加分の12000人についてもその全てが出戻りであるわけではない 。
 例えば、田中・塩崎(2008)による神戸市長田区卸菅西地区の人口動態追跡調査の結果によれば、1994年に長田区卸菅西地区に居住していた382世帯の内、震災後の1995年にはその8割にあたり308世帯が転出している。また、現在においても世帯数は震災前の半分程度にとどまっており、しかもその内の約6割にあたる117世帯が地区外からの転入であるという。その結果、震災以前から震災以後においても同地区に居住を続けている世帯は、震災以前の2割程度となっている 。
 また、岩崎らによる長田区の鷹取東地区における事例調査においても、震災前の同地区6町内の総世帯数が669世帯であったのに対し、震災後4年を経過した1998年2月時点において震災前と同じ地域において生活を再建できた世帯は161世帯と、元の3割に満たないことが報告されている(岩崎ほか 1999)。また、ここで長田を離れていった層の多く、生活再建にハードルを抱えていた層は、経済的には相対的に弱い立場の人々であった(岩崎ほか 1999: 田中・塩崎 2008)。長田地区では、震災後の再開発に伴い、各種の集合住宅も再建され、それに応じて家賃なども値上がりしていったといった経緯があり、その際、もっとも生活に影響を受けることになるのは、経済的に弱い立場に置かれている層の人々であった。

 こういった事例を踏まえるならば、上記のグラフに見る1995年以降における人口動態全般においても、出戻り人口が占める割合はさほど大きいものではなく、相対的に貧困であった人々がそれまでの住環境を離れざるを得なかった状況が見て取れるかと思う。

 復興に伴う都市再建においては、このような経済的格差に関わる実態と展開が背景にありうること、またそれを踏み越えて実行される政治経済的展開があること、災害後の復興事業とそれに伴う区画整理は、経済プログラムや都市計画というテクノロジーが持つ政治性(ポリティクス)の影響を受けざるを得ない部分があることは、今回の震災においても認識される必要があるのではないだろうか。

 最後に蛇足であるけれど、STSにおける一つの有名な論考の一部を見ておく。都市計画が持ちうる政治性について、かつてアメリカの政治学者ラングドン・ウィナー(Langdon Winner)は、「人工物に政治はあるか」 という論文は一つの警鐘になるかもしれないと思うからだ。
 ニューヨークのとある道路の構造に都市計画というテクノロジーに潜む政治性を見出している(Winner 1986=2000)。ウィナーが注目するニューヨークのロングアイランドの公園道路にある200個ほどの陸橋は、その高さが低く作られている。この低い陸橋のために、路線バスが道路を通ることができないことになるのだが、その結果、特に自家用車による移動という交通手段を持たない層の公園道路におけるアクセシビリティが著しく減少することになった 。これは一つの例でしかないとも言えるが、テクノロジーやシステム、また政治制度や経済プログラムといった人工物が、その使い方だけでなく、その設計やデザインにおいても、また政治性(ポリティクス)を持つというウィナーの指摘は十分に認識される必要があるのではないだろうか。
 人工物が図らずも持ちうる政治性、とくに都市計画や経済プログラムといったものにおいて特に顕在化するものと予想され、特に今回のような災害後に生じる各種の都市計画や経済プログラムでは注意すべきものであるだろう。


※本エントリーは、現在の所、特定の復興に関わるプログラムや施策を否定するものではない。トップダウンの復興政策・施策は、少なくとも短期的にはどうしても必要になることもまた事実である。しかし、中長期的視点に立つ場合、上記のように復興に際して切り捨てられてしまうかもしれないものについて視野を広げ考える必要はやはりあるのではないだろうかという考えから、このエントリーを上げた次第である。

※※今後、新しい都市デザインや復興プログラムの推進が行われると考えられる。その際には、二つの点を期待したい。

①専門性を持った人々には、上記のような震災復興に伴う光と影を認識したうえでの専門知の適用を期待したい。

②短期的には仕方なくとも、中長期的な計画を策定する際には、そのビジョン策定の時点より、その直接的な受益者となる住民(特にこれまでに、そしてこれからも現地に居住を希望する)の意思が十全に反映されるスキームがあること。


<参考文献>
Langdon Winner, (訳: 吉岡 斉、 若松 征男). 1986 (2000). The Whale and the Reactor: A Search for Limits in an Age of High Technology (鯨と原子炉―技術の限界を求めて): University of Chicago Press (紀伊國屋書店).
Naomi Klein, (訳:幾島幸子・村上由見子). 2007 (2011). The Shock Doctrine: The Rise of Disaster Capitalism (ショックドクトリン‐惨事便乗型資本主義の正体を暴く‐): Metropolitan Books (岩波書店).
Wisner Ben, Blaikie Piers, Cannon Terry, Davis Ian. 2003. At Risk: Natural Hazards, People's Vulnerability and Disasters (Second Edition): Routledge.
いのうえせつこ. 2008. 地震は貧困に襲いかかる-「阪神・淡路大震災」死者6437人の叫び: 花伝社.
岩崎信彦, 伊藤亜都子, 大原径子, 徳田剛. 1999. "激甚被災地における住宅再建の現状と課題: 阪神大震災4年目の復興区画整理事業: 鷹取東地区の事例." 神戸大学都市安全研究センター研究報告 3:313−22.
浦野正樹. 2007. "災害社会学の岐路−災害対応の合理的制御と地域の脆弱性の軽減." Pp. 35-41 in 災害社会学入門, edited by 大矢根淳・浦野正樹・田中淳・吉井博明: 弘文堂.
震災復興調査研究委員会. 1996. 阪神・淡路大震災復興誌: 21世紀ひょうご創造協会.
塚原東吾. 2011. "災害資本主義の発動‐二度破壊された神戸から何を学ぶのか?." 現代思想 39(7):202-11.
田中正人, 塩崎賢明. 2008. "用途混在地区の復興区画整理事業における転出実態とその背景‐神戸市御菅西地区におけるケーススタディ." 日本建築学会計画系論文集 73(629):1529-36.
吉井博明. 2007. "災害への社会的対応の歴史." Pp. 57-66 in 災害社会学入門, edited by 大矢根淳・浦野正樹・田中淳・吉井博明: 弘文堂.