若手による雑感(根拠の薄い妄想)−その2

前エントリーでは、標葉という個人が、なんでまたSTSなんていうロクでもない分野に足をつっこんでしまったのかについての個人体験記を書きました。

若手による雑感(根拠の薄い妄想)−その1
http://d.hatena.ne.jp/r_shineha/20120726/1343309955

そして、この2つ目のエントリーでは、少し「STS」という分野自体について、ややメタに雑感を垂れ流してみたいと思います。

また、この次の第3回目のエントリーにて、結局STSが、3.11以前に何をしてきたのか、そして3.11以降に何をしていたのか、という点について、「(ある特定の)STS研究者個人」、「STS研究者一般」、「STS学会」、「STSという分野」といったレベルごとに、個人的な雑感と反省を書きたいと思います。

※ここからの話は、この分野に来て10年も経っていない若手の、根拠の薄い個人的雑感(妄想)ですので、例えば分野や学会の声を代表するものではありません。その点、強調しておきます。

                          • -

また、林岳彦さんが以下のエントリーを投稿されています。
Take a Risk: 林岳彦の研究メモ
http://d.hatena.ne.jp/takehiko-i-hayashi/20120726/1343232391

                          • -

<二つの略語としてのSTS

STSという言葉が話の中で躍る際に、個人的にいつも気を付けている(または気になる)のは、その人がSTSという言葉をどういうニュアンスで捉えているのか/使っているかだったりします。

STSという略語は、実は二つの言葉を含意しています。
一つは、Science & Technology Studies
もう一つは、Science, Technology, and Society
です。

個人的には、このどちらの言葉を念頭に置いてSTSと言うかで、少しずつSTSという言葉に込められる意味だとか期待される役割が異なってきて、逆にいえばそのための議論の擦れ違いなんかもあるのかなあと思っています。
敢えて、すっごく乱暴に言うならば、
"Science & Technology Studies"は、あくまで「研究」を志向する感じ(基礎研究?)。
"Science, Technology, and Society"は、「研究」を用いた「実践」を志向する(または実践を研究にする)感じ(応用研究?)。
(識者からの「はぁ??」って声が聞こえてきそうですが、あくまでなんとなくまとめると?って感じくらいの緩さでご了解いただければ・・・)

一言で言えば、「STS」といっても、関心や問題意識からアプローチまでかなり多様ということになります。

STS自体は、例えばT.クーンの「科学革命の構造」などを源流としつつ、アメリカと欧州で少しずつ違った展開をしたような感じもあるかなあと思ったり、想像したりしています。その中で、

>「科学知識の社会学」や「実験室研究」といった"Studies"なイメージの強いものと、
>(ある種の運動的な性格をもった)"Society"的志向性(より強く正統性を問いかけるとか、科学技術のよりより民主的意思決定について取り組む感じ)のもの

これらが相互に関連・参照しつつ、時に分断しつつ、混在(または協働)してきたというイメージがあります。
(しかし、きちんとリファレンスを元に記事を詰めれば、もう少し確度をもって言える気がしますが、そこまでする時間がないので、これはなんとなくここ5,6年の間に業界に入ってきた一個人の偏見と直感によるかな〜り適当なイメージに留まるものです)

ただ、まあこういう複数の志向性が混在・共存していることからの混乱や誤解が色々ありそうだなあという気がしたので、敢えて書いてみた、、、という次第です。
(なんとなくですが、"Society"的な方向性でSTSを捉えている方が多いのかなあという印象を受けています)

※1:ただ、後で再度少し触れますが、こうやって分けてみること/恣意的な分類での議論の弊害も当然色々とあるわけですが・・・

                      • -

<二つのSTSの擦れ違い?/袖すり合うもまあ色々とあるよね>

っという訳で、既にして、つらつらと根拠の薄い印象論を書いてきました。
一言で「STS」といっても、関心や問題意識からアプローチまで、まあなんだか色々とあるんだなあ〜ってことを感じていただければこれ幸い。

もちろん、恐らく言うならば、"Science & Technology Studies"的なSTSと、"Science, Technology, and Society"的なSTSは、勿論根本のところで切り離すことはできないものであると思います(そして個人的にはそれがSTSの面白いところだとも思っていて、最近は出来る限り行ったり来たりしようかなと思っているのですが)。

ただ、まあ、逆にいえば、STSというのは一枚岩ではなくて、中で色々と批判があったりします。
すっごい乱暴にシンプライズするならば、

「"Society"系の連中は、ちっとも"Studies"が出来ていない。学術としてなってない。けしからん」

っていうような声もあるような気がしますし、

「"Studies"系の連中は、結局目の前の問題に関与してくれない。実践的なことを分かってくれない」

と言うような声もあるような、ないような。
(で、まあそれぞれ、イメージしているモノが少しずつズレていたりね・・・)

まあ、ここまでデフォルメな感じのものは実際には少ないにせよ、例えば学会や分野の内部での議論とかでは、それぞれの立場や問題関心・専門性からの歯に衣きせぬ批判のやり取りがあったりします。

個人的には、そういう間を行ったり来たりして、場合によっては上手く結び付けられればなあと思っていますが、まあ
上手く出来るかはまだ分かりません。
(でも、こういうのは、雑種な背景を持ってる私の役目だと思ってはいますが。)

ただ、まあ学会や分野の中でのこういうやり取りって、どうしてもなかなか外には勿論見えにくいよなあとか。
かといって、学会の年次大会の議論を全部中継して公開するってのも難しいので、まあ基本的には見えない。
で、そこに見えないっていう批判が来るのは、まあ仕方ない気もする一方で、困ったなあでもあるのですが・・・
(なので、せめてってことで、最近は学会事務局というか私の方で、年次大会や公開シンポジウムのハッシュタグを設定したりはしているのですが、まあ次の手をどうしようかなあというのは思案中)

※2:因みに言うと、STS学会には現在で500人強くらいの会員がいますが、実際に年次大会に来るのは200人程度で、また発表などをする(また懇親会に来る)のは100人弱っていう感じです。更に割とアクティブに色々している人となると、まあせいぜい数十名くらい?でしょうか。また学会には大学の研究者だけでなくて、高校の先生や行政関係者の方もいらっしゃいます。

※3:学会の会員数は、2005年の科学技術振興調整費などで科学コミュニケーションが振興されるようになって増えたりしています(つまり科学コミュニケーション関係者の会員が増えた)。またその振興にSTS(と一言で言うと乱暴にすぎるのですが)がある意味での積極的な関与をした所もあります。逆にそれによって年次大会での発表内容のマジョリティにも変化があったり、考えるべきことや視野に入れないといけないことが増えたり変わったり、(良くも悪くも)そういったことについて色々な思いを持っている人がいてみたり、とまあ、色々ある気がします。
(ちなみに言えば、STS「学会」事態は、設立の経緯からして、御用学会の性格は否めないものでもありますが)

「有用性」とか「役に立つ」云々といった所も、その中で一つ焦点として浮かんできた節があるような、ないような・・・
(でも、その時に想定されているSTSって多分、"Society"的な志向性のものに偏っている気はするなあとか。)

                                • -

はてさて、上で開陳した妄想的垂れ流しですが、一応なんとなく関連しそうなものを一つだけ簡単に紹介しようかなと思います。それは、

Sergio Sismondo (2007)
"Science and Technology Studies and an Engaged Program"
in E.J.Hackett et al (eds) "The Handbook of Science and Technology Studies Third Edition", MIT Press.
http://amzn.to/PPCam6

の中の議論です。

※昔、この論文のレジュメ作ったのですが、どっかいってしまったので、適当に流し読みしたのと大分昔の記憶を頼りに書いているので多分かなり不正確です(いずれ時間があったら補足・修正します)。

※※因みに、Sismondoは次の教科書も書いています
S.Sismondo (2010)
"An Introduction to Science and Technology Studies: Second Edition"
Wiley-Blackwell
[http://amzn.to/PPBZqM:title=http://amzn.to/PPBZqM
]
(因みにこのテキストの中では、“STS examines how things are constructed” (p200)というような次のような言明があってちょっと面白かったり、個人的には腑に落ちてみたり・・・但し、Sismondoの基本的なスタンスはこの一文に表れている気がします)


さてハンドブック第三版の中の論考を詳述するのは中々しんどいのですが、Sismondoは、S.フラーのSTSにおけるHigh ChurchとLow Churchといった類型での議論も引き合いに出しつつ(上で言う所の基礎と応用/StudiesとSocietyに対応するかなあと)、その分類ではそれぞれのChurchの間にある橋を見過ごしてしまうといったことも議論していたりします。
※因みに言えば、標葉の上での話は、同じような誤謬を孕む訳で、余り筋はよろしくないということになります。
(なので、あくまで、このエントリー全体の内容は、話半分の話題提供という性格のものであります)

その上で、Sismondoはその中で次のような二軸による図を提示して検討しています。そこでは分類することが目的というよりは、むしろそれぞれの領域の性格を持つ様々な取り組みのオーバーラップの可能性を見るべきだと論じている感じです。
(余り時間が無かったので、訳語は適当です、余りまともには参照しないでください)

そして、そういった領域間の架橋に類するような具体的な例としては、例えばSteven EpsteinによるAIDSのアクトアップ運動についての研究や、Brian Wynneの研究などが言及されている感じです(他に、科学論の「第三の波」を巡る議論やJasanoff、Latourの議論などへの言及も)。

まあ全体としては、多様なSTSを架橋することについて割と楽観的な見通しをSismondoは持っているような感じを受けます。

[参考までに]
Steven Epstein (1996)
"Impure Science: AIDS, Activism, And the Politics of Knowledge (Medicine and Society) "
University of California Press
http://amzn.to/PPSq6v

Brian Wynne (1996)
"May the Cheeo Safely Graze? A Reflexive View of the Expert-Lay Knowledge Divide"
in S. Lash, B. Szerszynski & Brian Wynne (eds) "Risk, Environment, and Modernity: Towards a New Ecology", Sage.
http://amzn.to/PPTp6L

また科学論の「第三の波」に関連しては、思想の2011年6月号が特集号になっています。
http://amzn.to/PPWPq6

                                      • -

ということで、再び、冗長になってしまった。
この筆力の無さは如何なものか・・・

このエントリーでは、STSといっても一枚岩ではない、そこにはいくつかの意味合いが込められていて、実際に中でもいくつかの志向性が混在していることをなんとなく徒然に書いてみました。

で、次のエントリーでは、じゃあ2011年3月以降にSTSは何をしていたのか?(またそれ以前は何をしてたのか?)について、
「個人として」、「学会として」、「分野として」、くらいのレベルに分けて、
"Studies"にせよ、"Society"にせよ、出来たこと、出来なかったこと、色々な問題・課題について、個人的に見えていた範囲で書ける所までと、それらについての個人的な反省と雑感を書こうと思います。
(ただ、色々な事情により、全部を書けるわけでは勿論ありません。そこはご容赦ください)

※4:「STS」っていう言葉が使われるときにもう一つ困るのが、そこで想定される主体が、「(ある特定の)STS研究者個人」なのか、「STS研究者一般」なのか、「STS学会」なのか、「STSという分野全体」なのか、どのレベルでの話かがよく分からなくなるので、それぞれについて分けて書こうと思います。


でも、アップできるのは、、、いつかなあ。。。。気長にお待ち頂ければ。。。