被災地の状況(福島〜宮城:2012年3月)

福島県宮城県の沿岸部などに行ってきたので、その状況について、ひとまず数枚の写真だけでもこちらにアップしておく。

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これまでの関連エントリー

3.11震災被害、その性質と背景、格差の問題など
http://d.hatena.ne.jp/r_shineha/20120123/1327302261
(元になったまとめ)http://togetter.com/li/243557

3.11 震災・原発事故の背景(2012年2月15日データ版)
http://d.hatena.ne.jp/r_shineha/20120312/1331546849

このエントリーに関わるTogetter(@kei_sadalsuudさん作成:ありがとうございます)
http://togetter.com/li/281262

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郡山からまずは飯舘村へ。
去年の震災後1月程度経った時点で来た際には、まだ外を住民の方が出歩いており、また車の行き気も非常に多かった。

しかし、そこから一年、多くの村民の方が避難することになるなど色々な経緯を経た今、人影はまばらで、雨戸が閉められた家も多い。


そして、南相馬を抜けて浪江町方面へ。
写真は立ち入り禁止ラインの一つ。
(付近には営業を続けているコンビニがあった。そしてその隣にある薬局などは閉まっていた)


その後、福島県沿岸部へ。
前に来たときよりも瓦礫の仮置き場への撤去が進んでいた。
(作業をされている方々には頭が下がるばかりである。。)


写真は、相馬の沿岸部。
津波により、家の基礎だけを残して流されてしまっている。



その後北上し、宮城県は山元町、亘理町へ。
写真は、その付近にあるガレキ仮置き場の一つ。



翌日は、宮城県石巻市や女川町へ。
どちらも、前回に来た時よりもガレキの仮置き場への搬入などが進んでいた。


石巻市日和山公園からの遠望①
写真上部には、津波で破壊された車が集められて山になっている。



同じく、日和山公園からの遠望②。
(解像度が悪くて伝わりにくいが)写真中央くらいには、石巻にあるガレキ仮置き場の一つが映っている。まあ、なんというか、階段型ピラミッドみたいな状態。


先の写真の仮置き場をもう少し近づいて(大きさが伝わりにくいが・・・これは撮影者の力不足)




女川町。
前に来た時は基礎だけ残っている状態だった住宅も、回収・搬入されていた。
しかし、片付けられたとはいえ、本当に何もなくなってしまっている。
また高台の方に目を向けるとどこまで津波が上ってきたかを今でも伺い知ることができる



同じく女川町。
片付けは進んでいるとはいえ、写真は津波によって転倒したビル

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大阪大学の八木さんよりTwitterで以下のニュースリンクとコメントをいただきました(多謝)。
@yagiyagiosaka: https://twitter.com/#!/yagiyagiosaka


後代に語り継ぐために、津波によって倒されたビルを保存する災害遺構保存事業
http://www.town.onagawa.miyagi.jp/hukkou/pdf/bokin/memorybank.pdf

一方で南三陸町のように、保存を望まないご遺族の気持ちを考え、断念する自治体もある。
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1062/20110919_04.htm


災害遺構残すにせよ、残さないにせよ、想像もできないような複雑な思いがそこに交錯することになることは忘れてはならない。
(少なくとも、今の私では、その色々な思いをくみ上げることは難しいし、代弁などとてもできない(できようはずもない・・・))