震災被害と格差など①

震災における被害状況と各自治体のデータについていくつか。
これまでにTwitterFacebookで公開してきたもの。
宮城出身の学者として、せめてこういうこと位はしないといけないと思った。
(何かの足しになればと、データの収集と分析・記述し、できる範囲で、政策担当者やそれに近い研究者へのデータの共有などはしている。。そして今後もこれは続けていく)

以下、いくつかの記事に分けて紹介していく。

この記事が元にしているFacebookのノートはこちら
http://www.facebook.com/note.php?note_id=149070101841951



まず、私が震災が生じたときに真っ先に思い浮かべたのは、U.ベックのリスク社会論であり、
「リスクのグローバル化/リスク・富の分配の不均等」の問題だった。

そこから発想を展開し、今回の事態においても、過去・現在・未来において、リスクと被害の社会階層に応じた格差が生じる(生じている)のではないかと考えた。

実際、日本の例をみても、阪神大震災で、もっとも被害を受けたのは社会的弱者といわれるような層であり、また言葉は悪いが神戸の貧民街であった長田区が壊滅的な被害を受けたことは各種の調査が示している。

実際、生活保護受給者の死亡率は、兵庫県における平均死亡率のおよそ5倍であったし。長田区では燃えた家の数が他の区よりもずっと多かったなどのデータがある。
(神戸市内で全焼した建物数は6965だが、そのうち実に4759が長田区である)
※この手のデータは、神戸市が各種のデータを公開している。また、その他にも「阪神・淡路大震災復興誌」シリーズなどにも各種のデータが掲載されている。

さて、いましがた阪神の例において簡単に紹介したような被害の格差が、今回の東北の事態においても背景にあるのではないか、これが今回の調査をスタートさせた思考のスタート地点である。
調査で明らかにしたい点は、被害と社会構造格差の関係であり、特に経済面の影響だ。
また、その格差が今後の復興においても影響するのではないか、その格差故に災害資本主義的(Naomi Klein 2007)な権力性や暴力が今後も行使されていくのではないかという危惧もあり、まず一つ、現状把握の参考となるデータが必要だと思った次第である(※)。

※:災害後短期における復旧・復興においてある種のトップダウン的な構図は必要であることは重々認識し、認めつつも、そのスタート時点での格差が今後の経済格差を拡大し、地域文化・コミュニティの維持にたいして与える影響は無視してはならないと思われる。また、その経緯を記述する義務が我々アカデミアにはあるだろう。


加えて、今回の複合的災害の実像をつかむためには、このような視点からのデータ収集は不可欠とも考えたこともある。
原発事故の重大性は疑いようもないが、しかし、原発事故に注目があつまるが故に、隠されている背景や社会構造が見落とされることも恐れたということもある。


方法-------------------------------

以降では、宮城・福島・岩手の沿岸部に設置する37自治体について、その財政指数・平均所得と人的被害・建物被害の関係の分析を行っている。

人的被害・建物被害(半壊+全壊)のデータは、各自治体が7月6日に公表したデータに基づいている。
また財政指数は、総務省統計(平成21年度準拠)
割合を計算するための母数(人口・建物総数・産業人口・年齢階層)は、総務省統計(平成22年度速報)
にそれぞれ基づいている。
また、津波に関するデータは、気象庁の4月5日報道資料や、国土交通省発表のデータなどを参考にしている。

死者の割合は、総務省の総人口データを母数とした割合。
建物被害の割合は、総務省の建物に関するデータ(登録されている建物総数)を母数とした際の、被害を受けた建物(全壊+半壊)の割合である。

尚、以降のデータは、今後の統計データの更新・修正によって変動すること。
また、一部の自治体ではデータの欠損がみられるために欠損値として扱っている場合があることに注意されたし。

無論、これらのデータは、多様な背景を原因とする被害状況に対して、限られたという説明変数しか与えていない点には注意が必要である。
また、自治体によって数値の意味合いが多少変わってくることもあるだろう。
(例えば、仙台市は沿岸部に設置していない地域の面積が大きいため、総人口を母数として死亡者の割合を計算することは、ある種の過小評価につながるといったことには注意が必要である。)

また、自治体の経済的状況についても、土地や地形・産業構造・歴史的観点から慎重に検討を有するものであることは言うまでもない。またその土地・時のインフラ・防災整備の状況も検討される必要がある。


そして、今回は自治体ごとのデータを使用した分析を行っている。
このことは、一つ一つの悲劇を、数字という集合的な表象に落とし込むことい他ならない。
(相対的に被害がマシな地域といっても、その現地においてはその被害はやはり大きなものであり、被害者にとっては、数字の一つとしてカウントされるだけのものではない)
その暴力性についての批判は甘んじて受けなければならないが、被害の背景を明らかにするうえでのアプローチの一つとして何卒ご理解いただきたい。


以下のデータはこれらを踏まえた上でご覧いただきたい。