東日本大震災・津波の瓦礫~仮置き場への搬入状況など

まえがき

次のエントリーは以下のTwitter連投が元になっております。
keiさんにまとめていただいたTogetter: http://togetter.com/li/259324

また震災については、以下のエントリーやまとめがあります。

http://togetter.com/li/243557
http://d.hatena.ne.jp/r_shineha/20120123/1327302261

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以下本文


本来、ここで言う瓦礫(ガレキ)は、一人ひとりの方の色々な文脈や人生といった意味づけがある(あった)ものであり、ガレキや災害廃棄物といった言葉で、乱暴に括るのは多分に暴力的だと思う。

しかし、震災からの復興において、瓦礫を巡って色々なことが論点となってしまう中、まずはいくつかの状況を確認しておく必要があると考え、このエントリーを作成する。
(その中で、瓦礫という言葉などを使ってしまうが、何卒ご容赦いただきたい)

瓦礫をめぐる現状確認の一助となれば幸いである。




まず、復興庁・環境省公表データを元に、瓦礫の搬入進捗率の時系列変化をプロットしてみた。





グラフを見る限り、瓦礫の搬入は少しずつ進んでいる。
とはいえ、震災から1年近く経とうとしている現状において、仮置き場の「搬入」でもこういう状態なのだ。

ここから更に、処理しないといけない。

そして、その量は、宮城の場合、家屋等の瓦礫だけで、通常の20年分にもなる。

阪神淡路大震災の時は、家屋等の一般廃棄物は1450万トン〜1480万トンくらいの量だったようだ。
また神戸市は800万トンくらいの廃棄物を3年くらいかけて処理していた。
(その間に、例えば近畿圏2府4県が合同で色々な取り組みがあった。また例えば大阪にあるフェニックスセンターなどの処理場がかなり活躍しているなど。これらは大きな都市圏が隣接していることのメリットが出たともいえる)


一方、今回の宮城の場合、出た分量でいえば家屋とかの瓦礫で1600万トンくらい。


しかし、ここでは、地域の廃棄物の処理能力に差があることを考えないといけない。
兵庫県だと廃棄物量は平成18年度で約251万トン。
一方で、宮城での一般廃棄物量は年間80万トン強(平成20年度)。


(表現は悪いが)東北は、東京以西の都市圏に比べて、全般的に人がいないというか、産業も少ないので、そもそも瓦礫の処理能力が低いというのがあって、ますます厳しい・・・
1600万トンある一般廃棄物の内、宮城自身でどれくらい処理するか(出来るか)はわからないけれど、まあどう贔屓目にみても、現状では明らかにキャパオーバーであるというのは悲しい事実。


一方で、瓦礫の広域処理については、いくつかの留意点は勿論あるだろう。
その一例としては、医療・産業廃棄物の問題があるかと思う。
勿論、放射性物質の付着も気になるとは思うが、むしろ医療・産業廃棄物の混入・分別の方が大変な事柄であり、少なからぬ注意は必要かもしれない。
(そのあたりについては、お触れや議論はあるみたいだけど、実際どこまでできるかは気になる。)
広域処理を進めるにせよ、慎重にするにせよ、広域処理しないにせよ、片方に目がとられすぎて、こちらの問題がおろそかになっては元も子もないとはいえる。


正直言えば、明らかにキャパオーバーの点をかんがみて、ある程度の広域処理はあってほしいと思う。
勿論、現地に新たに処理場を接地も選択としてあるだろう。
(また実際に話としては一部では進んでいる模様)
(しかし、各種の処理場の問題は、常々さまざまな形で社会問題となり、また多くの課題を提示してきたことは周知の通りでもある)

しかし、これだけの量の津波による瓦礫の処理というのは日本では未経験な事柄であろうし、産業廃棄物などの混入にどう対応するのか、またそれらの管理をどう行っていくのか、などなど課題はまだまだ残り続けている。
(どうしたもんかな。。。)

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今回の情報ソースなど
復興庁プレスリリース
http://www.reconstruction.go.jp/topics/whats-new/

環境省東日本大震災関連ページ
http://www.env.go.jp/jishin/index.html#haikibutsu

港湾技研資料 No.899 阪神・淡路大震災におけるガレキの処理・活用に関する調査と考察
http://www.pari.go.jp/cgi-bin/search-ja/detail.cgi?id=199803089901

東日本大震災における災害廃棄物の概況と課題 〜未曾有の災害廃棄物への取組
http://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/2011pdf/20110501065.pdf

東日本大震災の概況と政策課題  国立国会図書館 ISSUE BRIEF NUMBER 708(2011. 4.26.)
http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/issue/pdf/0708.pdf

平成20 年度 宮城県産業廃棄物等実態調査報告書 (平成19 年度実績)−概要編−
http://www.pref.miyagi.jp/sigen/sanpai/H19/gaiyou.pdf

気になったので、調べた/東北三県の自殺者数・自殺率推移

どうしても気になったので、東北三県の自殺者数・自殺率推移を調べてみた。

すくなくとも現在公表されているデータによれば、昨年において急激に自殺者数増加というのはなかった模様。


※自殺者数は自殺発生地における計上であるため、亡くなられた方の本来の居住地とは異なる点に注意。つまり、県境を超えた移動の後に自殺、引っ越した直後に自殺などの場合、元々住んでいた場所でのカウントにはならない。

それでもまだまだ多くの自殺があるという事実は無視できないが。。。
また、経済的な不安感や失業の問題はじわじわと来る。
むしろ怖いのは来年以降かもしれない。
凄く怖い。

3.11震災被害、その性質と背景、格差の問題など

現在執筆中の原稿のためのメモもかねて、震災・原発事故等について簡単にまとめてみる。
尚、この投稿は、作成していただいたこちらのTogetterを元に作成している。
http://togetter.com/li/243557

また、ここでの内容は、早稲田の田中幹人准教授(@J_Steman)とのグループとの議論や共同でやっている調査を背景にしております。


※標葉の専門は、科学技術社会論と科学計量学であり、災害研究ではありません。論点としては、どうしても、それらの分野や隣接分野における議論や想定している事が多くあり、それがバイアスとなっていることは十分考えられます。また関連データの取り扱いにおいても標葉の方の不勉強による不備があることも考えられます。その点、ご了承ください。

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今回の3.11複合的災害は、地震津波原発事故という異なる性格を持った被害とリスクが入り混じっている。しかし、一つ必要な作業としては、被害の状況と性質、そしてその構造的問題を把握すること。それは今後の復興を考える上でも一助となると考えている。
議論の足しになれば幸いである。

まず主な被災地である東北3県の人的被害・建物被害の状況を確認しておく(2012年1月12日までに自治体が公表したデータに依拠)。
東北三県だけで16000人を超える方が亡くなられ、数多くの建物被害、また経済面への被害がでている。

そして、瓦礫の山や丘は津波被災地の各所で見られ、まだまだ進んでいない。また破壊されたままになっている場所も数多い。
これらの甚大な被害、まだまだ続いているという認識が全ての議論のスタート地点になる。
(例えば写真は11月時点での宮城の野蒜駅と付近の瓦礫集積所)。


そして地震津波の甚大な被害に加えて、原発事故が事態をいろんな面で厄介にしている。
先ほどあげた東北三県被害概況でも分かるように、多くの避難者がいる状況となっている。
図は福島県における県内・県外避難者数の推移(推定)


繰り返しになるが、今回の複合的災害は、被害範囲と被害の種類が広範囲に渡ることが特徴だが、場所によってその性質は全然異なること、またいずれにせよまだまだ多くの問題や課題が残っていること、現在進行形の問題であることは忘れてはならない。


ここで被害の状況とそれを巡る背景にもう少しだけ立ち入ることにする。
その際の私の最初の問いは、特に大きな被害に見舞われた地域は一体どのような場所だったのか?ということ。

ここでは、例えば階層や階級に応じたリスク分配の不平等構造の話が念頭にある。
阪神大震災の時に、生活保護受給者の死亡率が兵庫県平均の5倍にもなったという話も嫌な話だが想起せざるを得ない。

そこで、ひとまず大味で雑な調査だけれど、特に津波の被害に注目して各自治体の経済状況と人的・建物被害の割合を調べた。


まず次の図は、東北三県沿岸部37自治体の人的被害の割合(人口に対する死者の割合)と一人当たり市町村民所得(自治体の総所得を人口で割ったもの:事業所所得も入るので、あくまで自治体全体としての所得の指標)


なお各自治体の人的被害率と建物被害率をプロットしたばあい(自治体名の下は一人当たり市町村民所得(千円))、当然というと嫌な気分になるが、高い相関関係にある。


では、特に被害の大きかった地域はどのような地域背景をもっていたのか?
先にアップしたデータでは、一部の比較的財政に恵まれた自治体(残念ながら福島の原発立地自治体であるが、これらを巡る構造的問題はひとまず置いておく)がデータを見にくくしているので発電所というインフラの無い東北沿岸部の自治体に絞ったデータを今から二つほどアップする。


(非原発立地地域における)人的被害割合と一人当たり市町村民所得


(非原発立地地域における)住宅被害割合(半壊+全壊)と一人当たり市町村民所得



なお、これらの二つのデータの傾向は別の財政指標(自治体の財政指数)で取っても同じ傾向になる。
勿論、また津波の高さなどの影響もあると考えられるが、(観測地点によって異なるものの)分かる範囲での津波の高さや浸水面積割合といったデータでは被害と明確な相関は見出しにくい所もある。
しかし、津波の浸水範囲概況にかかる人口割合と死亡率の間には高い相関が認められる(自治体名の下は、一人当たり市町村民所得(千円))。


これらの結果から、少なくとも、被害の大きかった自治体は相対的により経済的に脆弱な地域であったということが分かる。経済的な脆弱性がそのまま被害の原因に直結するとは限らないが、一つの重要な背景にあったとも考えられる。

災害の被害を考える際には、社会構造上の問題、地域が抱えてしまっている脆弱性に目を向ける必要がある。

被害の大きかった地域では、浸水地域の面積における人口密集度が大きいことも、被害のあった地域の状況、ある種の脆弱性の一面を表しているとも考えらる。

被害の大きさと自治体の産業構造・年齢構造には、次の傾向にあることが分かる(相関が高い)。
第一次産業従事者が多い自治体ほど被害が大きく、高齢者が多い自治体ほど被害が大きく、第一次産業/高齢者が多い自治体ほど財政的に貧困である」 


今回の被害の裏には、被災地域(第一次産業地域)における高齢化と貧困の問題があると言える。
また実際に、今回の東日本大震災で亡くなられた方のおよそ65%が、60歳以上の方であった(内閣府2011防災白書・・・リンク先参照)
http://www.bousai.go.jp/hakusho/H23_zenbun.pdf


貧困層、高齢層が災害の被害者、災害弱者になりやすいといったことは阪神淡路大震災をめぐっても度々指摘されてきた事柄であるが、今回においてもそうであった。
そして、これらは、日本社会における格差の問題に繋がっている。


被災地をめぐる被害と経済の格差の問題と復興を考えるにあたり、それらを取り巻く問題については、(これも様々な方が度々言及されていることだが)阪神淡路大震災における長田区の事例が教訓を与えてくれると考えられる。
長田は、阪神震災において最も多くの全焼建物が出てしまった地域である。

震災後、奇跡の復興を遂げたと言われる長田であるが、その復興と再開発の陰で見過ごされて切り捨てられてしまったものは何かを見ることは、今回の震災を考える上で重要な視座を与えてくれる。まずは、長田区における人口の推移を見てみる。



震災直後、十三万人台だった長田区の人口は九万人代まで減少している。そして、その後、少し回復するが再び減少し、現在までに十万人を少し超えるくらいの規模で推移している。ではこの減少した人口は一体どういう層であったか?

長田区全体の調査ではないが、例えば、田中・塩崎(2008)による神戸市長田区卸菅西地区の人口動態追跡調査の結果によれば、1994年に長田区卸菅西地区に居住していた382世帯の内、震災後の1995年にはその8割にあたり308 世帯が転出している。また現在においても世帯数は震災前の半分程度にとどまっており、しかもその内の約6割にあたる117世帯が地区外からの転入である。
震災以前から震災以後においても同地区に居住を続けている世帯は震災以前の2 割程度である。
 また岩崎らによる長田区の鷹取東地区における事例調査においても、震災前の同地区6町内の総世帯数が669世帯であったのに対し、震災後4年を経過した1998年2月点において震災前と同じ地域において生活を再建できた世帯は161世帯と、元の3割に満たないことが報告されている(岩崎ほか1999)。

http://www.jstage.jst.go.jp/article/aija/73/629/1529/_pdf/-char/ja/
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/repository/00317548.pdf



要するに、長田区の事例では復興の際の再開発において、貧困層の排除が発生してしまった。復興に伴う都市計画において、その恩恵が元からの住民にきちんと行きわたるわたるではない一つの事例と言える。復興に際しては、このような都市計画・復興計画に伴うインパクトに注意しなければならない。
 都市計画が持つ政治性については、ラングドン・ウィナーが「人工物の政治性」において論じている問題だが、(意図せずにせよ・意図的にせよ)トップダウンで実行される都市計画と復興計画が持つ(持ってしまう)政治性については、私自身、注意して見ていきたい。


ここまでをまとめると、
今回の震災において、一つの底となる問題は、「格差」であることは今までに述べた通りである。被害格差、経済格差、復興格差といった様々な格差の問題が見えてくる。

しかし、もう一つ今回の震災で重要な側面として、「情報格差」がある。

ここで言う「情報格差」というキーワードを巡っては、二つの問いを提起するもの。

①「今回の災害において生じてしまった情報弱者とは誰か?」
②「震災・原発事故をめぐる情報の中で生じた話題への関心の集中・格差はどういうものか?」


①「今回の災害において生じてしまった情報弱者とは誰か?」については、被災地について調査したデータは持ち合わせていないが、総務省による「平成22年度通信利用動向調査」にあるデータが一つの側面を強く示唆していると考えられる。 
http://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/statistics/data/110518_1.pdf

今回の震災・原発事故においては、既存のマスメディアに加え、ブログやWebマガジン、TwitterFacebookなどのネットメディアが情報の流通に大きな役割を果たした。
しかし、総務省の調査を見ると、特に後者のネットでの情報収集・利用については、以下の傾向が見られる。


①高齢者になるほどネット利用率が落ちる(H22年末調査でh、60-64歳では70.1%、65−69歳では57.0%、70−79歳では39.2%、80歳以上では20.3%)

②低所得世帯におけるインターネット利用率が低い(二百万未満では63.1%、200〜400万では68.6%、一方600万以上は軒並み80%を超えている)

③地域別ネット利用率を見た際、(東北三県内でも格差があるが)首都圏や関西都市圏に比べてやや利用率が低い。特に岩手は低い傾向にある。


以上3つの事柄、①高年齢層ほどネット利用率が低い、②低所得層ほどネット利用率が低い、③大都市圏に比べ東北地方は全体的にネット利用率が低い、これらの事柄と、先までに示した震災被災地域の社会構造や被害の大きかった年齢階層を考えると、今回の災害弱者が同時に情報弱者でもあったと想像される。
 いずれにせよ、この複合的災害において生じた情報弱者への視点は、情報流通、ジャーナリズム、コミュニケーション、いずれの視点においても必要不可欠になるものだ。



そして「情報格差」を巡るもう一つの側面 「震災・原発事故をめぐる情報の中で生じた話題への関心の集中・格差はどういうものか?」。一つは、こちらのデータがシンプルだけど示唆的。

朝日新聞地震津波原発キーワード登場比率の推移


またキーワードネットワークを時系列に描いてみたものをみると、次のことがわかる。

①最初の一週間は情報が整理されずとにかく投げ込まれていた状況であった
②時間にそって話題が整理されていく
地震津波原発に関する話題は緊密なネットワークを形成していたが1月半ほどで分かれはじめる 

※これらの元データについては、こちらのエントリーを参照のこと
http://d.hatena.ne.jp/r_shineha/20111121/1321872514

これらのデータや、早稲田の田中幹人さん(@J_Stemanさん)が集めているデータなどを見ても、震災発生後直後の1月の間において次のことは言えそう。

「震災後の初期一か月程度において、地震津波の話題は原発に呑まれてしまった」

このことは、災害があぶり出し、且つ裏に抱えていた様々な問題を見えにくくしたかもしれない。この傾向はネットメディアにおいても総じて同じであった。
このことは、災害があぶり出し、且つ裏に抱えていた様々な問題を見えにくくした可能性がある。また、社会におけるアジェンダ構築の問題でもある。

※震災後、最初の一月半の間、マスメディアとネットメディアにおける話題の中心の変化の傾向は似通っている。しかし、その後は若干の変化がみられる。ここから先については、早稲田大学の田中さん(@J_Steman)の登板をお願いしたい所。


結局のところ、本当の意味で震災からの復興やら対策を講じたいのであれば、地方における「格差」や「貧困」の問題は避けて通れない。やるのも、考えるのも今だと思う。
(力不足も良いところだが、私もせめてできることをしたい。調査もするし、各所にデータを出したりもするし、御用仕事もする)

当然、原発事故は重大な事態。
同時に地震津波の爪痕はまだまだ癒えていない。
どちらも現在進行形の問題で、いろんな問題、また社会構造上の課題を含んでいる。
それと同時に、今議論を行っていく中で、見落としやすくなってしまうもの、切り捨てられてしまうものを拾い上げて行く必要もやっぱりあると思う。

東北3県沿岸自治体農業被害

東北3県沿岸接地37自治体の農地被害について、農水省の資料を元にプロットしてみた。

元ソースは、

農林水産省東日本大震災農林水産業基礎統計データ−岩手・宮城・福島を中心に−」
http://www.maff.go.jp/j/tokei/joho/zusetu/zusetu.html

ならびに平成23年3月29日農林水産省報道発表資料
http://www.maff.go.jp/j/press/nousin/sekkei/pdf/110329-02.pdf


これらに掲載されている公表データを3つの組み合わせでプロットした。


津波被害農地面積絶対値と面積割合のプロット(いずれも推定値)



津波被害農地面積割合・集落数割合のプロット(いずれも推定値)


津波被害農地面積絶対値・集落割合のプロット(いずれも推定値) 

福島県避難者数の推移(推計値)

福島県避難者数推移(推計)
原子力賠償紛争審査会配布資料より標葉作成:プロットしただけ)。

データソースは、原子力賠償紛争審査資料「自主的避難関連データ」
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/kaihatu/016/shiryo/__icsFiles/afieldfile/2011/11/25/1313502_3.pdf



福島県による推計値であることに注意
(実値ではない。但し、8月、9月などについては、データが落ち着いてきて、実値に近いと考えられる)。


因みにデータソース元を見る限りでは、次のような傾向がある。
避難者の数や割合については、いわき地区における自主的避難者数が多い。
また割合でみると相馬が多い。
全体的に見ると、浜通り中通りで移動が多い。



また、ちょっと違うデータではあるが(しかも、推計が少し古い)、福島県災害対策本部の5月開始時点における推計では、他県への避難者数の内訳は、

新潟県7943人
埼玉県4154人
東京都3644人
群馬県2613人
栃木県2201人
山形県1861人


などとなっている。
(こちらの発表から http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/kaihatu/016/attach/1306056.htm

六ヶ所村の一人当たり市町村民所得推移(H8-H20)

そういえば、六ヶ所村についてもう一つデータをアップしておこうと思う。
以前、平成20年度統計での一人当たりの村民所得が1360万を超えているということで驚いたわけだけど、平均所得の推移をグラフにしてみたら、ある意味もっと驚いた。


※ちょっと注意書き
勘違いされそうかもということで、念の為。
標葉は、ここで生じている現象について、「村民一人ひとり」の責任を追求するつもりなどは毛頭ありません。
むしろ、後でも何度か書きますが、問われるべきは、こういう事が生じる社会構造の問題だと思っています。



尚、データソースは青森県公表の次のデータ。
http://www6.pref.aomori.lg.jp/tokei/data/0000002804/0000002804_1_4.xls

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<追記>
コメント欄、ならびにTwitterにてご指摘を頂いたので、追記。
どうやら、後の見立てよりも、アクティブテスト開始に伴い、企業の利益が村の総所得に追加されたことなどが主要因である模様。
(実際、平成17年と18年のデータを比べると、製造業の所得が跳ね上がっている模様。)

そのため、当初予想したような高所得者層の流入ということが主な原因ではないと考えられる。
(流石に、それでは説明がつかないレベルの情報だし。)

ただ、この場合、自治体全体の見掛け上の所得は上がっていても、それがどれだけ元から居る村民に還元されているかは分からない。
恐らくだけど、基本的に、結局儲かってた主たるアクターは、原燃な人達で、元からいた村人への分配はどうなんだろうね?という問題はあって、結局、格差の問題などは残りそうな気がする。
※ただ、色々な影響が生じているとも思うので、この後に想像として書いてある、人口の流出入や土地の問題についても、今度ちゃんと人口動態データなどを調べてみたいと思っている。

あと、最後にも述べているけれど、
「その背景で起きているものは何か?その社会構造上の問題は何か?」というのが重要な問いだと思う。

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平成17年度統計の所までは、300万くらいの所をキープしているが、平成18年には一気に一人当たり所得が2200万を超えている。
その後、ガスガス下がって、ただ今1363万ちょいという状況。
さて、これの意味する所は??となると、色々と難しいことがあり過ぎて、正確な所はなんとも言えない。。。

※上記追記を参照のこと。



因みに国勢調査の結果を見ると、人口規模は、ずーっと11000人前後をキープしている。
単純な直観だと、
例えば富裕層と貧困層の入れ替わりがあったのかなということも考えられるのだけれど、
または、土地の売買による収入とか??
変動が酷いので、多分後者かな??
とはいえ、仮に土地バブルだったとしても、それは土地という資本があった人(だけ?)が優先して収入を得たということであるし、土地収奪的な云々の話もあり得るし、域内格差の問題はどの道残るし、なんだかなあ。。。


まあ、どちらにせよ、正確な所は、人口動態のもう少し詳しいデータを調べてみるとハッキリするのだが、まだそこまで調べられていないので、なんとも言えない。。。
ただ、完全に直感だけれど、恐らくは所得構成別の分布データはかなり歪な感じじゃないかとは思ってしまう。(繰り返しになるが、勿論、正確な所は調べてみないと分からないが)


ちなみに、原発関連自治体っても、六ヶ所村みたいなところだけではない。
例えば、女川は、自治体の財政指数は高いが、一人当たり平均所得は約223万(H20統計)。
この女川町に似たタイプの自治体としては、静岡の御前崎がある。
こちらも財政指数は高いが一人当たり平均所得が200万ちょっとという自治体。


いずれにせよ、原発自治体といっても、それぞれで事情は違うし、また各自治体の中の事情もシンプルではないし、実際には色々ときちんと把握しておくべきものがあるってことだけは確か。これはこれからも調べていく。



でも、まあ、六ヶ所村のこの推移については、なんと言いますか、
「どうしてこうなった?」とは思ってしまう。


但し、一点注意しないといけないかなと思うこと。
因みに、これ、所得が上ってること自体が問題ってよりも、


その背景で起きているものは何か?
その社会構造上の問題は何か?

ってのが問題だと思う。そこを間違えてはいけない。

震災被害と格差など(阪神大震災−長田区の例)

すでにいくつかエントリーを投稿しているが、震災の被害と格差を考える上で重要と考えられる点を整理しておきたい。

但し、標葉の専門は災害研究では無く、この点について包括的・網羅的に交渉できる立場には無い。あくまで、科学技術社会論を専門とする人間が、ある問題意識の上で調べて、それでも大事だと思った点をかいつまんでいるに過ぎないことはご了解されたし。


 ざっと調べた範囲においては、災害研究の分野では、災害は、災害を契機として社会構造の脆弱性Vulnerability)が顕在化するものと考えられていると言ってよさそうだ。そのため、災害の状況とその背景を考える際には、被害の状況と同時に、どのような社会的脆弱性があったかを合わせて考える必要がある。ワイズナ−らは、社会的脆弱性は以下のようなプロセスを経て進行するとまとめている(Wisner et al. 2003; 浦野 2007・・・以下のWisnerのまとめの日本語訳は浦野の訳を参考にしている) 。

1. 根源的な原因(Root Causes)−貧困、権力構造や資源への限定的なアクセス、イデオロギー、経済システム、その他一般的でグローバルな要因
2. ダイナミックな圧力(Dynamic Pressures)−<地元の諸施設、教育、訓練、適切なスキル、地元の投資、地元市場、報道の自由など>の欠如、及び<人口増加、都市化、環境悪化など>のマクロ・ファクター
3. 危険な生活状況(Unsafe Conditions)−壊れやすい物的環境(危険な立地、危険な建物やインフラストラクチャーなど)、脆弱な地元経済(危機に瀕した暮らし、低い収入水準)

 このような社会的脆弱性の進行と、災害による脆弱性の顕在化は、日本におけるこれまでの災害でも確認されている。例えば1995年一月に発生した阪神・淡路大震災の被害に関するデータでは、兵庫県において生活保護受給者の死亡割合が兵庫県平均のおよそ5倍であったこと、仮設住宅入居者の約7割が300万未満の世帯収入であったことなどが指摘されている(震災復興調査研究委員会 1997; いのうえせつこ 2008; 吉井 2007)。

 これらの知見と事実は、震災の被害が社会的脆弱性を突いて、特に貧困層において顕著であることを示すものであり、ここに社会構造に応じた災害におけるリスクの格差構造が見て取れる。災害を巡る社会的脆弱性の問題は、すぐれて格差の問題でもあると言える。地震津波の被害を考える際、このリスク・被害の格差と脆弱性の問題は避けては通れない、解決すべき根本的な社会的課題でもある。

 また、今後の復興を考える上でも、もっとも影響(不利)を受け得る主体は誰かという問題もある。これまでのエントリーでは、被害のスタート地点における自治体間の被害格差、そしてそれの背景となり得る経済格差について描いてきた。この格差が、今後どう展開してしまう可能性があるのか考える必要がある。
 
 そこで、このエントリーでは、阪神淡路大震災における長田区の例を参考とすることで(阪神・淡路大震災で得られた教訓は多岐に渡ものであり、また標葉はそれらの知見群について包括的に論じられる立場にあるとは言えないが・・・)、今後生じてしまうかもしれない出来事(また既に生じつつある出来事)について素描してみたい。

 日本はこれまでに数多くの大地震を経験し、そのたびに多くの被害を出しつつも、いくつもの教訓を得てきた。中でも、この20年以内における際立った経験が、阪神・淡路大震災であると言える。1995年1月17日未明に発生した阪神・淡路大震災では、6434人もの死者、全壊ないしは半壊以上住宅が249180棟、また地震後に生じた火災によって7035棟が全焼するなどの大きな被害が発生している 。
 塚原(2011)は、災害に乗じた再開発とそれによる格差拡大と人々の疎外が生じた例として、神戸市長田区の事例に言及している(これはナオミ・クラインが指摘する「災害便乗型資本主義」の日本的な例という言い方もできるだろうし、塚原はそれを念頭に議論を行っている)。
 
 神戸市長田区は、阪神・淡路大震災において東灘区や灘区と並び多くの死傷者が生じた地区である。その長田区における被害において目を引く事実の一つに、全焼した住宅数の多さがある。2006年1月17日付の神戸市の発表では、死者数において同規模の被害があった東灘区や灘区における全焼住宅数が327軒と465軒であったのに対し、長田区における全焼住宅数は4759軒と群を抜いて多い。
 震災時に発生した火災によって焼野原になってしまった長田地区では、阪神・淡路大震災の復興事業として、その後再開発が急速に進むことになり、「奇跡の復興」を遂げることになる。現在では、新しく地下鉄も開通し、長田駅ならびに新長田駅の近辺には、舗装されたタイル張りの通行路に、新しい商店街が立ち並び、綺麗に整備された公園にはモニュメントとしての鉄人28号がそびえ立っている。

 復興に際して、町が新しい形で再建されること、その後に新しい人々の流入すること自体はもちろん必ずしも悪いことではない。しかし、このような焼野原からの復興の背後において生じていた変化の実態とはどのようなものだったのだろうか。(時としていやが応にも)その中で切り捨てられてしまうもの、見落とされてしまうものについて目を向けることもまた肝要であり、そのことは今回の東日本大震災をめぐる復旧・復興に際しても留意すべき教訓を与えてくれるものと考えられる。

 ここで長田地区における変化を示す指標の一つとして、人口の動態を確認しておこう。このデータにおいて注目すべき点の一つは、阪神・淡路大震災前後における長田区の人口の急激な減少とその後の緩やかな増加の非対称性にある。阪神・淡路大震災の前年である1994年10月1日には13万人いた人口が、震災を経た1995年10月1日には96807人まで減少している。およそ33000人の減少の人々が長田区より出て行ったことになる。その後、1998年10月1日の時点で108553人となり、12000人ほどの人口増加が認められる 。
(※1994年以前の年代は5年刻みのデータであることに留意されたし)


 この震災前後における33000人の転出と12000人の転入、差し引きで2万人を超える人口の流出は何を意味しているのだろうか??。
 
 無論、増加分の12000人についてもその全てが出戻りであるわけではない 。
 例えば、田中・塩崎(2008)による神戸市長田区卸菅西地区の人口動態追跡調査の結果によれば、1994年に長田区卸菅西地区に居住していた382世帯の内、震災後の1995年にはその8割にあたり308世帯が転出している。また、現在においても世帯数は震災前の半分程度にとどまっており、しかもその内の約6割にあたる117世帯が地区外からの転入であるという。その結果、震災以前から震災以後においても同地区に居住を続けている世帯は、震災以前の2割程度となっている 。
 また、岩崎らによる長田区の鷹取東地区における事例調査においても、震災前の同地区6町内の総世帯数が669世帯であったのに対し、震災後4年を経過した1998年2月時点において震災前と同じ地域において生活を再建できた世帯は161世帯と、元の3割に満たないことが報告されている(岩崎ほか 1999)。また、ここで長田を離れていった層の多く、生活再建にハードルを抱えていた層は、経済的には相対的に弱い立場の人々であった(岩崎ほか 1999: 田中・塩崎 2008)。長田地区では、震災後の再開発に伴い、各種の集合住宅も再建され、それに応じて家賃なども値上がりしていったといった経緯があり、その際、もっとも生活に影響を受けることになるのは、経済的に弱い立場に置かれている層の人々であった。

 こういった事例を踏まえるならば、上記のグラフに見る1995年以降における人口動態全般においても、出戻り人口が占める割合はさほど大きいものではなく、相対的に貧困であった人々がそれまでの住環境を離れざるを得なかった状況が見て取れるかと思う。

 復興に伴う都市再建においては、このような経済的格差に関わる実態と展開が背景にありうること、またそれを踏み越えて実行される政治経済的展開があること、災害後の復興事業とそれに伴う区画整理は、経済プログラムや都市計画というテクノロジーが持つ政治性(ポリティクス)の影響を受けざるを得ない部分があることは、今回の震災においても認識される必要があるのではないだろうか。

 最後に蛇足であるけれど、STSにおける一つの有名な論考の一部を見ておく。都市計画が持ちうる政治性について、かつてアメリカの政治学者ラングドン・ウィナー(Langdon Winner)は、「人工物に政治はあるか」 という論文は一つの警鐘になるかもしれないと思うからだ。
 ニューヨークのとある道路の構造に都市計画というテクノロジーに潜む政治性を見出している(Winner 1986=2000)。ウィナーが注目するニューヨークのロングアイランドの公園道路にある200個ほどの陸橋は、その高さが低く作られている。この低い陸橋のために、路線バスが道路を通ることができないことになるのだが、その結果、特に自家用車による移動という交通手段を持たない層の公園道路におけるアクセシビリティが著しく減少することになった 。これは一つの例でしかないとも言えるが、テクノロジーやシステム、また政治制度や経済プログラムといった人工物が、その使い方だけでなく、その設計やデザインにおいても、また政治性(ポリティクス)を持つというウィナーの指摘は十分に認識される必要があるのではないだろうか。
 人工物が図らずも持ちうる政治性、とくに都市計画や経済プログラムといったものにおいて特に顕在化するものと予想され、特に今回のような災害後に生じる各種の都市計画や経済プログラムでは注意すべきものであるだろう。


※本エントリーは、現在の所、特定の復興に関わるプログラムや施策を否定するものではない。トップダウンの復興政策・施策は、少なくとも短期的にはどうしても必要になることもまた事実である。しかし、中長期的視点に立つ場合、上記のように復興に際して切り捨てられてしまうかもしれないものについて視野を広げ考える必要はやはりあるのではないだろうかという考えから、このエントリーを上げた次第である。

※※今後、新しい都市デザインや復興プログラムの推進が行われると考えられる。その際には、二つの点を期待したい。

①専門性を持った人々には、上記のような震災復興に伴う光と影を認識したうえでの専門知の適用を期待したい。

②短期的には仕方なくとも、中長期的な計画を策定する際には、そのビジョン策定の時点より、その直接的な受益者となる住民(特にこれまでに、そしてこれからも現地に居住を希望する)の意思が十全に反映されるスキームがあること。


<参考文献>
Langdon Winner, (訳: 吉岡 斉、 若松 征男). 1986 (2000). The Whale and the Reactor: A Search for Limits in an Age of High Technology (鯨と原子炉―技術の限界を求めて): University of Chicago Press (紀伊國屋書店).
Naomi Klein, (訳:幾島幸子・村上由見子). 2007 (2011). The Shock Doctrine: The Rise of Disaster Capitalism (ショックドクトリン‐惨事便乗型資本主義の正体を暴く‐): Metropolitan Books (岩波書店).
Wisner Ben, Blaikie Piers, Cannon Terry, Davis Ian. 2003. At Risk: Natural Hazards, People's Vulnerability and Disasters (Second Edition): Routledge.
いのうえせつこ. 2008. 地震は貧困に襲いかかる-「阪神・淡路大震災」死者6437人の叫び: 花伝社.
岩崎信彦, 伊藤亜都子, 大原径子, 徳田剛. 1999. "激甚被災地における住宅再建の現状と課題: 阪神大震災4年目の復興区画整理事業: 鷹取東地区の事例." 神戸大学都市安全研究センター研究報告 3:313−22.
浦野正樹. 2007. "災害社会学の岐路−災害対応の合理的制御と地域の脆弱性の軽減." Pp. 35-41 in 災害社会学入門, edited by 大矢根淳・浦野正樹・田中淳・吉井博明: 弘文堂.
震災復興調査研究委員会. 1996. 阪神・淡路大震災復興誌: 21世紀ひょうご創造協会.
塚原東吾. 2011. "災害資本主義の発動‐二度破壊された神戸から何を学ぶのか?." 現代思想 39(7):202-11.
田中正人, 塩崎賢明. 2008. "用途混在地区の復興区画整理事業における転出実態とその背景‐神戸市御菅西地区におけるケーススタディ." 日本建築学会計画系論文集 73(629):1529-36.
吉井博明. 2007. "災害への社会的対応の歴史." Pp. 57-66 in 災害社会学入門, edited by 大矢根淳・浦野正樹・田中淳・吉井博明: 弘文堂.